HAJIME SORAYAMA
2021.01.09

Hajime Sorayama to H.R. Giger



photo: Takao Iwasawa
text: Meiji(marble studio)

エロティシズムの探求をもって、社会に一石を投じ続ける空山基。エアブラシから生まれる圧倒的な写実性と、代表作“Sexy Robot”シリーズに象徴される官能美の極致は、世界中のアーティストに多大な影響を及ぼしてきた。そんな「性」と「生」を描く空山と、映画『エイリアン』のクリーチャーデザインを手がけたことでも知られるアーティストH.R. ギーガーの作品が対峙する2人展“H.R.GIGER x SORAYAMA”がスタートした。対照的な「死」を描くギーガーへの想い、共通項であるエアブラシ、そして本展で披露された新作の解説などを踏まえながら、空山のアートに対するアプローチと作家性を探った。

HONEYEE(H):ご無沙汰しております。

空山基(S):どうも。私、今回も嘘ばっかり言うからね(笑)。

H:(笑)。では、早速。今回は“H.R.GIGER x SORAYAMA”と題しまして、スイスの画家、彫刻家のH.R. ギーガーとの合同展となりました。空山さんは、アーティストとしての彼をどのような存在と捉えていますか。

S:「対極」の存在ですね。エロスとタナトス、陰と陽、生と死。彼は内臓や骨といったタブーを堂々と世間へと曝け出した。メジャーを介してだから発表できたけど、令和の今だったらセクハラですよ。『エイリアン』に登場する宇宙船も大砲(スペースジョッキー)も、どこからどう見たってちんちんだもん。あれを堂々とピューリタンの国で発表するなんて、常軌を逸していますよ。タブー破りにも程がある。その反面、彼みたいなアーティストがいると、後からついていくのはとても楽ですよ。

H:「タブーに触れる」という点では空山さんと共通している部分もあるのではないでしょうか。

S:基本はタブーです。だけど、彼に比べて私は社会性があるから、どの程度のレベルであれば発表できるかと、常に考えながら社会とコミュニケーションを取っています。ただ、ギーガーはタブーを蹴破っていく作家だから、そういう意味では尊敬できますね。

生きていたら、アシスタントとして採用したかったな(笑)

H:ギーガーとは生前に一度もお会いしたことがないとのことですが、本展はどのような経緯で開催する運びとなったのでしょうか。

S:NANZUKAの知り合いで、イタリアのKALEIDOSCOPEというアート雑誌の編集者が、企画を持ち込んできたみたい。プリントのガレージセールをやりたいだけなら断ろうと思っていたのだけど、「立体を持ってくる」と言う台詞に本気度を感じて、お引き受けさせていただきました。

H:おっしゃるとおり、相当な数の立体作品を持ち込まれたようですね。

S:売れ残りかな? 冗談です(笑)。「選りすぐりを持ってこられた」と書いておいてください(笑)。

H:「『選りすぐりを持ってこられた、と書いておいてください』と空山さんに言われました」と書いておきます(笑)。もう少し、ギーガーの作家性に言及したいのですが、彼は映画『エイリアン』のクリーチャーデザインで広く知られています。ギーガーの唯一無二なサイエンス・フィクション作品に、何か思うことや感じることはありますか。

S:病的なものを感じますね。“美味しいところ”だけはいただくけど、難題すぎて同じ路線ではできない。世の中が受け入れてくれないだろうから、私は遠慮します。

H:“美味しいところ”とは、具体的にどのような部分でしょうか。

S:内臓とか、粘膜とかですね。ただ、これは個人的な意見だけど、私はギーガーにはお世辞にも上手いとは言えません。だって、粘膜の質感の再現力が低いでしょ? 彼はマットな表現しかできない作家なんです。

H:ギーガーもエアブラシ、空山さんもエアブラシ。ここもまた共通点のひとつですね。

S:エアブラシの技術は、とても高いですよ。職人だと思います。ただ、彼はトラックのエアブラシ塗装の技術を極限まで高めたような人で、墨汁を使ったりしているところからもわかると思うけど、透明感とか反射とかに対して意識が向いていないでしょう? それが作風なのか、技術やセンスがないのかはわからないけどね。その上、性的なものを全てを包み隠さず描いてしまう。例えば、便所の落書きはギラギラとした性欲の塊だけど、私にあれは真似できない。作家として、それを洗練させているのが私の絵です。きっと、ギーガーも性についての思いの丈は、私よりも遥かにあったはず。だけど、それが剥き出しのままなんですね。非常に直接的。

H:ただ、エアブラシの技術面では、とても尊敬されていると。

S:テクニックはね。ただ、ギーガーは全てがエアブラシで、まるでエアブラシに描かされていた。言い換えると、使いこなしていた人ではないと私は思っています。エアブラシの職人としてのテクニックは、私と比較すると雲の上のような人。でも、エアブラシを一番いいポイントで使うセンスは、私の方が遥かに上ですね。生きていたら、アシスタントとして採用したかったな(笑)。

H:空山さんとギーガーでは、エアブラシの使い方にどのような違いがあるのですか。

S:ギーガーは、99%がエアブラシ。私は、せいぜい5%か10%しか使っていないんです。料理に例えると、ギーガーはエアブラシがメインディッシュそのものなのだけど、私の場合は隠し味。演出として、要所要所でエアブラシをキャスティングしていると言えば、わかりやすいでしょうか。きっと、ギーガーも使いこなせば、もっと上のステージに上がっていたでしょうね。でも、エアブラシ論を語り合ったとしても、彼は絶対に受け入れないと思います。互いにリスペクトできる部分もあるはずですが、最終的にはマウント合戦になるでしょうね(笑)。

H:エアブラシの使い方の違いについては、空山さんがスーパーリアリズムの文脈を歩んでいるのに対して、ギーガーはシュルレアリスムの一派ということも関連しているのでしょうか。

S:フォトリアリズムは、つまりは写真だから、実在するものがベースになります。でも、彼の作品はファンタジーで、尚且つ、自分の中だけで完結してしまっている。私は存在を感じるよう、お茶を濁していますが、きっと彼には必要なかったんでしょうね。そこはモチベーションなのか、ベクトルの違いなのでしょう。

H:本展では、空山さんも新作を発表されています。触覚のある三葉虫に女性が召されている作品もそのひとつですが、あちらには「カンブリア爆発」を意味する言葉が記されていました。

S:あれには、バージェス頁岩(約5億500万年前の海棲動物化石を多産するカナダの化石地層の通称)も入れていたはず。バージェス頁岩って全部、圧縮されたようにぺちゃんこの化石でしょう? 中にいる生物は今のそれとは全く異なる、想像を絶する形をしている。ギーガーとはまた違う異次元の話で、人類とは全く脈絡のないところに私はとても新鮮さを感じていて。

H:その一方で、裸の女性は手に古代エジプトのアンクを持っていました。アンクは「生命」や「生きること」を意味するものですよね。あれは、女性が生きることを望んでいると汲み取っていいのでしょうか。

S:そうです。でも、カンブリア爆発もバージェス頁岩で発見された生命体も絶滅して生きていなくて、すでに終わってしまっている。私たち人間も近々絶滅するでしょう。とは言っても、100年、1000年後とかの話ではないですけどね。

H:すなわち、あの女性は私たちと同じ現代人である、と。

S:はい、ご覧のとおり、生身の人間です。絶滅した生命体と人間による異次元のセックスを描いています。

H:ファンタジーですね。空山さんはアート活動において長らく「性」をテーマにされてきました。ですが、人によっては抵抗があるであろう春画のような生々しさはなく、エロスやロマンを感じさせます。

S:人は、ロボット同士でセックスさせても文句言わないからね。逃げる方法として、ロボットはすごく便利で。映画『ブレードランナー』でも、人間のデッカードがレプリカント(人造人間)のレイチェルに惚れて、セックスを暗示するようなシーンがありましたよね。現在進行形で描いているのは、天然の生き物と人工物の間に恋愛感情があるかどうかということをテーマにしています。男性が全身生身、女性がロボットで、男性が女性に愛情があるという設定。ピュグマリオーン(ギリシア神話に登場するキプロス島の王)にはギリシャ文字を入れて、ロボットにはラテン語を入れて、丁寧に観察すればわかるようにしています。あと、文字を入れていれば、クレーマーが来ても「お前はこれが読めないのか?」と恥をかかせて、返り討ちにできますからね(笑)。

H:確かに、文字は鑑賞者へのメッセージにもなりますし、記されているという事実によって説得材料にもなりますね。

S:私は、基本的に自分の作品にタイトルはつけないのですが、文字を入れることは多いですね。葛飾北斎の『喜能会之故真通』のなかに、女性が蛸から性的快楽を受ける「蛸と海女」という作品があります。以前、それを置き換えた作品を制作して、自分の絵に初めて「北斎さんへ」というオマージュを捧げるタイトルをつけたことがあるのですが、そのときのプロデューサーが「文科省が絡んでいるので、今回は作品全てタイトル不要です」と言い出して。でも、私の絵を否定する以上、それは北斎を否定することになりますからね。そういう時限爆弾を忍ばせていたりもします。

H:本展では、他にも新作があります。乳房が剥き出しになった女性の膝の横に骸骨がある作品についても解説をお願いできますか。

S:あぁ、ちんちんね。お尻のところに薄く、スピーシーズが描かれていましたよね? あれはセクシーロボットがスピーシーズに対して“Kiss my ass.”って言って、強要している感じです。骸骨はそれを見ている。エイリアンとスピーシーズの中間くらいの生命体を描いたから、ギーガーのファンはすぐにわかるのではないでしょうか。

H:空山さんはセクシーロボットが代名詞ですが、作品にはフルメタルの女性が登場することもあれば、部分的に生身の身体が露出している女性もいます。その使い分けにはどのような意図があるのでしょうか。

S:ロボットにすると、表情が出しにくいんです。セクシーロボット、アンドロギュヌス、ヒューマノイドとか区分されますけど、例えば顔に限定すると、ロボットだと表現としてのアヘ顔を上手く出せません。指も完全に金属にしてしまうと、フェミニンにならないときがある。そういうときに部分的に露出させて、爪を伸ばしてマニキュア塗ったり、生身の人間を登場させています。

H:作品で表現したい女性像によって異なるのですね。

S:そうです。第三者が見れば、まるでマンネリのように同じことしているように感じるかもしれませんが、私の中では数多の使い分けがあります。作家はしばしば、自分で自身の路線を決めてしまい、それに囚われて身動きできなくなります。特に、歳を取れば取るほど、それは顕著になる。そうして煮詰まると、画廊やコレクターも同じようなものを欲しがるから、自分で自分の真似をして負のスパイラルに陥ってしまい、最終的に消えていくんです。だから、アーティストなら兵隊のバリエーションは多いに越したことはないと思います。私は今のうちに「これだけ兵隊いるよ」というアピールをしてある。売れたあとに自分で自分を狭めてしまうと、酸欠になってしまいます。思い当たる人、いますよね? だから、もうちょっと事前に撒き餌をして、サバイバルの方法を考えておいた方がいいんじゃないかと思うんです。有機体とロボットを上手く融合させるのも、そうした微妙な部分が多いですね。

H:空山さんの表現するセクシュアリティからはしばしば「生」への欲求が伝わってきます。ですが、今回対峙するギーガーが表現する世界観は「死」です。空山さんは自身のアート活動において「死」とどのように向き合っていますか。

S:エロスを表現するときに、ちょっとのタナトスを隠し味で入れておくと、私の料理は際立つんです。それでよく、後から勝手に死を付け足したりはしていますよ。

ラテン語とか入れておくと「空山はわかっていてやっている」と思ってもらえるから

H:「死」を表現のちょっとしたギミックとして取りれているんですね。

S:はい、そのような場合はわかりやすい記号で入れてあります。

H:スピーシーズが描かれている作品の女性の右腕にも、ドイツ語で「死の本能」を意味する単語が記されていましたね。

S:“Todestrieb”ね。対になっている“Lebenstrieb”も含め、あれは(ジークムント・)フロイトが提唱した概念です。死にたがるというエクスタシーも小さな死だとかなんだとか。あれもタナトスに由来する「生」と「死」の欲動に対する考え方です。

H:あそこから「人間は本能的に死を望んでいる」というようなことも考えてみたのですが。


S:私は無教養だから、教養があるようにそういうものを入れているんですよ。そうすると、コレクターたちは調べますよね。しかも、ラテン語とか入れておくと「空山はわかっていてやっている」と思ってもらえるから、他でいい加減なことをしても大丈夫なんです(笑)。

H:最後に、冒頭で「対局の存在」と言われたギーガーとご自身の作品が同じ空間に展示されていることに対して、どのような感想を持たれましたか。

S:どこか気恥ずかしいところもありますね。でも「勝ったな」って(笑)。もちろん、そんなこと書かないでね?