Edit&Text by Yukihisa Takei(HONEYEE.COM)
Photo by Rintaro Ishige
東京・浅草で行われた話題騒然のショーのバックステージに潜入取材
2022年1月、Maison MIHARA YASUHIROの2022AWのランウェイショーが東京・浅草の「すしや通り商店街」で行われた。この模様は動画編集もされ、Paris Fashion Weekの公式スケジュールのビデオ発表で世界中に発信されたが、同ブランドとしてはコロナ禍以降初のフィジカル、そして久しぶりとなるホームグラウンド・東京での開催でもあった。HONEYEE.COMではこのバックステージに潜入取材。発表後、SNSを中心に大きな話題を呼んだこのショーをレポートする。
スーパーのチラシ風のインビテーション
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デザイナーの三原康裕から「今回のショーは浅草の“すしや通り商店街”というアーケードでやります」と聞いたのは、2021年の暮れのことだった。現在Maison MIHARA YASUHIROのオフィスは原宿近辺にあるが、1996年にシューズブランドとしてスタートしたのが東京の製靴の中心地である浅草だったこともあり、会場はまさに三原にとっての原点と言える場所だ。
東京の下町の代表であり、世界中から観光客も押し寄せるそのロケーションを聞いただけで面白そうなショーになる予感はしたが、年明けにそのインビテーションが編集部に届いた瞬間に確信に変わった。それは危うくスパムと勘違いして捨てそうになったほど、日本の一般的なスーパーマーケットの安売りチラシに酷似していたからだ。(実際、ショー会場で顔を合わせた別のメディアの編集者は間違えて捨てたと話していた)
デザイナーが重視する“遊び”
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三原康裕のファッションデザインは、いつも遊び心に彩られている。それは近年高い人気を誇るソールを粘土で成型したスニーカーにも顕著だが、ウェアのクリエイションにおいてもそれは共通している。ミクスチャーの手法をふんだんに取り入れた洋服は、既存のファッションの要素を再解釈したものが多く、そこには堂々とファッションに向き合いながらも、どこか天邪鬼なアウトプットを続けるデザイナーの性格が反映されている。
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前回の取材でも三原は、長年の愛読書であるホイジンガという人類学者の著作『ホモ・ルーデンス』を引き合いに出して、クリエイションにおける「遊び」の重要性を繰り返し語っていた。今回のショーにおいても、その遊び心が存分に発揮されることは想像ができたが、実際のところ現場で待っていたのは想像以上のものだった。
今回三原はプレスリリースにおいても「グローバルな情報が手に入りやすくなった時代の中で、改めて自分の中のローカリズムについて考えた」 と語っている。三原にとってそのローカリズムとは、自らのブランドをスタートした1990年代の東京の空気感であり、原宿や創業の地である浅草でもあるという。
1990年代の東京の空気感
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奇しくもデザイナーの三原康裕と同い年であり、1990年代の東京を経験した一人の編集者として振り返って思い起こされるのは、あの時代の東京という街のある種のハチャメチャさだ。
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ファッションにおいてはアメリカンカジュアルの強い影響を残しながら、裏原宿には新たな動きが起こっていた90年代。雑誌文化は今とは比較にならないほど強い影響力を持っていて、そこからサブカルチャーと呼ばれるものも多数生まれていた。その騒乱の中では、何がメインカルチャーで、何がサブカルチャーなのかも境界線が曖昧で、局所的な物事も雑誌に載った瞬間から突然メジャーなものになっていた気がする。
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そして、街を歩いている人たちやクラブに出没する人のほとんどが正体不明だった。今ではSNSなどの効果もあって、“ちょっとした有名人”は特定も可能だが、90年代当時は「雑誌に出た人は有名人」で、それ以外の人は一般人だった。あのオシャレな人は誰だろう、あの妙な格好をした人は誰だろうと思っていても、そのコミュニティに入ることができなければ知ることは不可能だったし、そういう人が渋谷や原原宿にウヨウヨいたのが90年代だ。
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今回Maison MIHARA YASUHIROのショー会場の近くに集められた総勢80名に上るモデルたちの姿を見たとき、そんな記憶が蘇った。プロフェッショナルなモデルも見受けられたが、むしろ“誰なのか気なって仕方ない”極めて個性的な一般人モデルたちが多数集められていたからだ。本職を持ちながら、それぞれ独特の人生を歩んでいる雰囲気が滲み出ていたし、それが今回のコレクションの強いデザインの服と見事にマッチしていた。
そのフィッティングの会場には、メイクを終えたモデルたちのひとりずつ名前を呼び上げ、スタイリングを確認している三原の姿があった。
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ライブ会場のようなリハーサル
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今回のショーにはいくつかの“仕掛け”が用意されていた。昼間は多くの人が行き交う商店街を朝から借りてリハーサルが入念に行われたのも、その“仕掛け”の仕上がりをチェックするためだ。
昼過ぎ、リハーサルは1980年代に結成された日本の老舗スカバンド、The SKA FLAMESの演奏から始まった。12人にも及ぶビッグバンドが商店街のアーケードの下に集合し、長年の活動によって練られたスカサウンドを本番さながらに披露する。
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そして“ライブ”にこだわった今回のショーに登場するもうひとつのバンド、浅草ジンタの楽隊が、自作の音響付き自転車サイドカーでランウェイを練り歩きながらサウンドチェックを行った。
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どちらも多幸感に溢れ、ファッションショーというより“お祭り”に近い音楽は浅草の商店街にも馴染むものだったので、アーケードを行き交う人々の多くが、商店街のイベントだと勘違いをしていそうだった。
開場の約2時間前、フィッティングを終えた80名のモデルたちも登場し、本番に近い最終リハーサルが行われた。商店街に響き渡る演奏の生音、歩調も不揃いで個性的なモデルたち、そこに合わせられたMaison MIHARA YASUHIROの新作が渾然一体となって、強力なパワーを醸し出している。コロナによってリアルなイベントも激減し、“人流”が生む楽しさを共有できる時間に飢えている時代において、このショーに招待された人々が楽しむ姿が想像できた。
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リハーサルを終え、「すしや通り商店街」の女将さんと談笑する三原に、「リハーサルだけでテンションが上がりました」と伝えると、三原は安堵したように喜んでくれたが、本番で待ち構えていたことはそれを超えるものだった。
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オール立ち見のランウェイショー
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16時頃になるとチラホラと招待客が集まり始めた。ご存じのようにラインウェイショーは着席であることが多く、「フロントロウ」であるとかそうでないとか、ファッション関係者にとっての関心事はショーそのもの以外にもあったりもするようだが、今回のショーはすべて立ち見。映像撮影用に組まれた矢倉も面積を占めているため、来場者はかなりモデルに近い立ち位置で見ることになる。さらにその側には大所帯のThe SKA FLAMESのバンドセット。続々と集まる人を商店街に収容できるのか少し心配になった。
17:00にThe SKA FLAMESの「トーキョー・ショウ!」の掛け声と演奏とともにショーはスタート。約80メートルの商店街ランウェイは、端から端まで多くの招待客に溢れていた。
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“ハプニング”の発生
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ショーの途中、大きなハプニングが起こった。モデルたちが颯爽と横切るランウェイの中央付近に、喧騒を察知した警察官と1台のパトカーが乗り込んできたのだ。ランウェイショーに警察が来て中止に追い込まれたというのは聞いたことはないが、「警視庁」の文字が入ったパトカーからも数人の警官が降りてきた。「前代未聞のショー中止?」と会場が騒然となった瞬間、そのパトカーから降りてきたのは警察官に扮したデザイナー・三原康裕本人だった。
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この“ハプニング”は事前に三原からも聞いていたもので、リハーサルでも普通乗用車で安全性などのチェックをしていたのを確認していたが、いざ本番になると、それは会場の熱気を加熱させた。
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ファッションショーにおけるデザイナーの姿というのは、ショーの最後に幕袖から現れて、小さく手を振ったり、軽く頭を下げてまた消えていく、というのが一般的だ。
そこには「ショーの主役は自分ではない、あくまで洋服なのだ」というメッセージが込められているのかも知れないが、その日の三原は警官の服装にティアドロップのサングラスをかけて、闊歩するモデルたちを誘導したり、時には連行して所持品チェックをするなど、まさにやりたい放題。予想外のその姿には来場者のスマートフォンが一斉に向けられ、会場は大きな笑いと笑顔が溢れた。
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90年代の熱狂
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モデルもランウェイを一巡し、The SKA FLAMESの演奏も終わった瞬間、ランウェイの奥からはトランペットで映画『男はつらいよ』のテーマソングが響き始める。地元出身のバンド、浅草ジンタの楽隊がモデルたち全員を連れて再入場すると、会場にはキラキラとした紙吹雪が舞う。
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「ミハラー!!」と飛び交う歓声。ファッションショーというよりもライブのアンコールのようであり、何かの興行のフィナーレのようにも映る。これはファッションショーとして正解なのか? これをパリコレのオンラインで目撃する海外のファッション関係者はどのように感じるのか? おそらく他でもない三原本人が幾度も逡巡したはずの疑問が浮かびつつ、三原にインタビューした時の「遊びが大事なんですよ」という言葉が頭の中で繰り返された。
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ショー後の来場者の興奮した様子も、通常のファッションショーでは感じられないものだった。そしてパリコレでの映像発表が行われた1月21日(金)夜のSNS(※当日までUPは禁止されていた)では、あの日のショーを絶賛する声が次々と飛び交った。
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その夜、三原に「最高でした」とメッセージを送ると、「破天荒過ぎました」と一言返信があった。そこには反省というよりも、むしろやり切った上での照れも含まれていると読み取っている。
2022AWシーズンの日本ブランドのコレクションでは、全体的に90年代のムードを反映したクリエイションやショーの演出が多く見られた。人の何倍も感度の高いデザイナーたちが90年代を見つめ直しているのは、外見としてのファッションだけではない。
Maison MIHARA YASUHIROの2022AWテーマが“SELF CULTURE”であることが物語るように、あの時代のゴチャゴチャとした混沌の中に、いくつものカルチャーと自由が存在したことを日本のデザイナーたちは改めて提示しているのだと思う。
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[CONTACT]
Maison MIHARA YASUHIRO
https://miharayasuhiro.jp